アートと日常にみる色彩と形態が呼び起こす感覚の心理:五感が織りなす表現の世界
アート作品を鑑賞したり、身の回りの色や形に触れたりする時、私たちは単にその視覚情報を処理しているだけではないことがあります。例えば、真っ赤な色を見て「熱い」と感じたり、ギザギザの形を見て「鋭い音」を連想したりすることがあるかもしれません。このように、色彩や形態は、時に視覚以外の五感、特に触覚や聴覚といった感覚を呼び起こすことがあります。
アートセラピーにおいても、描かれた絵の色や形が、言葉では表現しにくい身体的な感覚や内的な感情と深く結びついているケースが多く見られます。この記事では、色彩や形態がどのように他の感覚と結びつくのか、その心理的な側面を掘り下げ、アートと日常における五感が織りなす表現の世界について考えていきます。
色彩が呼び起こす感覚の心理
色は私たちの心に直接的に作用しますが、それが視覚情報としてだけでなく、他の感覚を伴って感じられることがあります。
- 色の「温度」と触覚: 最も身近な例として、「温かい色」と「冷たい色」の感覚があります。赤やオレンジ、黄色といった暖色系の色を見ると、実際に気温が高くなくても暖かさや熱さを感じやすく、青や水色といった寒色系の色を見ると、涼しさや冷たさを感じやすい傾向があります。これは単なる連想だけでなく、生理的な反応(例:暖色を見ると血圧がやや上昇する傾向)も伴う場合があると言われています。暖炉の炎の赤や、氷山の青といった具体的なイメージが、色の温度感覚を強化します。
- 色の「音」と聴覚: 色に特定の「音」のイメージを持つこともあります。明るく鮮やかな黄色や赤は高く響く音や活気のある音楽を、深い青や紫は低く落ち着いた音や神秘的な音楽を連想させることがあります。これは共感覚と呼ばれる現象とは異なりますが、文化的な連想や個人の経験に基づき、色が聴覚的なイメージと結びつく一般的な心理傾向と言えます。例えば、ジャズ音楽のイメージを表現する際に青や紫が多用されたり、賑やかなお祭りの様子を赤や黄色で表現したりするのは、色の持つ音や雰囲気のイメージを利用している例です。
- 色の「味」や「匂い」と味覚・嗅覚: 色が食べ物の味や匂いを連想させることもよくあります。緑色は新鮮な野菜やハーブの味や香りを、茶色はコーヒーやチョコレートの香ばしさを、黄色は柑橘系の酸味や爽やかな香りを想起させやすいです。食品の色が食欲に影響を与えるのは、この感覚的な結びつきが影響していると考えられます。
特定の芸術作品において、画家が意図的に色彩を用いて感覚を喚起する例は多く見られます。例えば、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に用いられる鮮烈な黄色や青の筆致からは、単に色が見えるだけでなく、視覚的な「響き」や「ざわめき」のようなものを聴覚的に感じ取る鑑賞者もいるかもしれません。印象派の画家たちが光や影の微妙な変化を捉えるために用いた色彩は、温度や湿度といった肌で感じる感覚をも喚起する力を持っています。
形態が呼び起こす感覚の心理
形もまた、視覚情報としてだけでなく、触覚や聴覚、あるいは動きに伴う身体感覚といった感覚と結びつく性質を持っています。
- 形の「触感」と触覚: 形を見ると、それがどのような素材でできているか想像し、それに伴う触感を連想することがあります。丸く滑らかな形は柔らかく、ツルツルした手触りを、角張った鋭い形は硬く、ゴツゴツした手触りを想像させやすいです。家具のデザインや建築物を見る際に、その形から素材の質感や手触りを無意識のうちに想像し、それが心地よさや安全性といった感覚に影響を与えます。自然界においても、丸い石や砂浜の砂から柔らかな感触を、尖った岩や木の枝から硬い感触を連想します。
- 形の「音」と聴覚: 色と同様に、形にも聴覚的なイメージが伴うことがあります。急角度の線や鋭い三角形は甲高い音や不協和音を、緩やかな曲線や波打つ形は静かで流れるような音や心地よい旋律を連想させることがあります。抽象的なデザインやアート作品において、形のリズムや流れが、視覚的なイメージだけでなく、聴覚的な共鳴を引き起こすことがあります。
- 形の「動き」と身体感覚: 形が持つ「動き」のイメージは、自身の身体感覚と結びつきます。上昇する三角形は高揚感や軽快さを、水平線は安定感や静止を、螺旋形は渦巻くような動きやめまい感を連想させます。これらの形を見ることは、実際に体が動かなくても、それに伴う身体感覚(バランス、速度、方向など)をシミュレーションするような心理プロセスを引き起こす可能性があります。
彫刻や立体作品を鑑賞する際、私たちはその形を様々な角度から見ることで、触れた時の手触りや、もしその形が動くとしたらどのような動きをするかといったことを想像します。抽象彫刻の表面の滑らかさや凹凸は、触覚的な探求心を刺激し、作品との間に身体的な共感を生み出すことがあります。
アートセラピーにおける感覚と表現
アートセラピーの現場では、クライアントが描いた絵の色や形が、その人の内面にある言葉にならない感覚や感情を映し出していると考えます。例えば、漠然とした不安感を表現するために、濁った灰色や黒を使い、不定形で境界線が曖昧な形を描くかもしれません。あるいは、抑圧された怒りを表現するために、鮮烈な赤や黒を使い、鋭く、画面からはみ出すような形を描くこともあります。
これらの色や形は、単なる視覚的な要素としてだけでなく、クライアントがその時に感じている身体的な感覚(緊張、重苦しさ、熱さ、冷たさなど)や、過去の体験に伴う感覚記憶と深く結びついています。セラピストは、描かれた色や形からクライアントの内的な感覚に耳を傾け、その感覚がどのような感情や体験と結びついているのかを共に探求していきます。
言葉にできない感覚や感情を、色や形といった非言語的な媒体を通して表現することは、自身の内面を客観的に見つめ直し、理解を深める重要なステップとなります。描くという行為自体が、身体的な動きを伴う感覚的な体験であり、それが色彩や形態として定着することで、内的な感覚を「見える化」し、触れることのできる形にするのです。
まとめ:感覚を意識することで広がる世界
色彩や形態は、単に視覚を通して情報を伝えるだけでなく、私たちの五感全体に働きかけ、様々な感覚を呼び起こす力を持っています。色を見て音を感じたり、形を見て手触りを想像したりするこのような感覚的な結びつきは、私たちの感情や記憶、そして無意識の世界と深く繋がっています。
日々の生活の中で、目にする色や形が自分にどのような感覚を呼び起こすか、少し意識してみることで、新たな発見があるかもしれません。特定の色の服を着た時に感じる心地よさ、特定のデザインの家具を見た時に感じる安心感、あるいは自然の中で触れる木々や岩石の形から連想する肌触りや音。これらの感覚に意識を向けることは、自分自身の内面をより深く理解するためのヒントとなり得ます。
また、アート作品を鑑賞する際に、描かれている色や形が視覚以外のどのような感覚を呼び起こすかに注目してみると、作品への理解が深まり、より豊かな体験を得られるでしょう。画家が筆致や色使い、形の配置を通して表現しようとした感覚的な世界に触れることで、作品と心を通わせることができるかもしれません。
色彩と形態が五感と織りなす心理的な作用を理解することは、アートセラピーにおける自己表現や内省を深める上で重要な視点となります。そしてそれは、アート作品を見る時、あるいは日常生活の中で色や形に触れる時、私たちの世界をより感覚豊かに、そしてより深く感じ取るための扉を開いてくれるでしょう。