色が「近く」見えたり「遠く」見えたり?:進出色・後退色・膨張色・収縮色が語る色彩心理
色彩は、私たちの目に飛び込んでくる情報としてだけでなく、その見え方そのものが私たちの心理や感覚に影響を与えています。特に、同じ大きさや距離にあるはずの色が、なぜか「近く」見えたり「遠く」見えたり、「大きく」感じられたり「小さく」感じられたりする視覚効果は、私たちの無意識に働きかけます。
このような色彩の視覚効果には、「進出色(しんしゅつしょく)」「後退色(こうたいしょく)」、そして「膨張色(ぼうちょうしょく)」「収縮色(しゅうしゅくしょく)」と呼ばれるものがあります。これらはアート作品の表現や、私たちの日常生活の様々な場面で活用されており、その背後には興味深い色彩心理が隠されています。
この視覚効果を理解することで、アートをより深く味わったり、日々の生活で色を選ぶ際のヒントを得たり、あるいは自分自身の心理状態に気づくきっかけになるかもしれません。ここでは、それぞれの色の効果と、それが私たちの心にどのように作用するのかを詳しく掘り下げていきます。
進出色と後退色:距離感を操る色のマジック
進出色とは、私たちの目に対して実際よりも「近く」にあるように感じさせる色のことです。一般的に、赤やオレンジ、黄色といった暖色系の色や、明度(明るさ)が高い色がこれに該当します。
例えば、広大な風景画を見たときに、手前の丘に描かれた鮮やかな赤い屋根の家が、他の景色よりもぐっと前に飛び出して見えた経験はないでしょうか。これは進出色である赤が、視覚的に手前に迫ってくる効果を生み出しているためです。
一方、後退色とは、実際よりも「遠く」にあるように感じさせる色のことです。青や青緑、紫といった寒色系の色や、明度や彩度(鮮やかさ)が低い色がこれに該当します。
山の絵を描く際、遠景の山を青みがかったり、霞んだりした色で描くのは、この後退色の効果を利用して奥行きや遠近感を表現するためです。遠くの山が実際には緑色でも、空気を通して見えると青っぽく見えるという現象(大気遠近法)も、後退色の効果を裏付けています。
進出色・後退色が心に与える影響
進出色には、活発さ、エネルギー、親近感といった心理的な効果があります。前に出てくるように感じるため、注意を引きつけやすく、存在感を強く感じさせます。広告や看板に暖色系の色がよく使われるのは、この効果を狙っているからです。
後退色には、落ち着き、静けさ、広がり、神秘性といった心理的な効果があります。遠くにあるように感じるため、空間に奥行きや広がりを感じさせたり、心を鎮めたりする効果があります。瞑想やリラクゼーションの空間に寒色系の色が選ばれることが多いのは、この性質によります。
アートセラピーにおいて、描かれた絵の中の特定の色が進出色として強く前に出てきている場合、それは本人の意識や関心が強く向けられている対象を示唆している可能性があります。逆に、全体的に後退色のトーンで描かれている場合は、内省的な状態や、現実からの距離を示していることも考えられます。
膨張色と収縮色:大きさを変える色のイリュージョン
膨張色とは、実際よりも「大きく」感じさせる色のことです。白やレモンイエロー、薄いピンクなどの明るい色や、彩度が高い鮮やかな色がこれに該当します。
同じサイズの箱でも、白い箱は黒い箱より大きく感じられるという実験結果は有名です。また、膨張色は軽やかさも感じさせることがあります。
一方、収縮色とは、実際よりも「小さく」「引き締まって」感じさせる色のことです。黒や紺、深い緑などの暗い色や、彩度が低い地味な色がこれに該当します。
例えば、着る服の色を選ぶ際に、黒っぽい色は体が引き締まって見える(着痩せ効果)と言われるのは、収縮色の効果によるものです。収縮色は重厚感や安定感を与えることもあります。
膨張色・収縮色が心に与える影響
膨張色には、開放感、軽やかさ、ポジティブさといった心理的な効果があります。空間を広く見せる効果もあるため、狭い部屋の壁を明るい色にすることで圧迫感を軽減できます。一方で、あまりに多用すると落ち着きがなくなることもあります。
収縮色には、堅実さ、安定感、フォーマルさといった心理的な効果があります。ものを小さく、あるいは密度が高く見せる効果があるため、重厚感や信頼感を与えたい場面で用いられます。ただし、暗い収縮色ばかりだと、閉塞感や重苦しさを感じさせることもあります。
アートセラピーにおいて、作品に用いられた色の膨張色・収縮色としての効果を読み解くことで、本人が無意識のうちに感じている自己イメージ(自分を大きく見せたい、小さく見られたいなど)や、抱えている感情のボリューム感を推測する手がかりになることがあります。
色の視覚効果を日常やアートで意識する
これらの進出色・後退色、膨張色・収縮色の効果は、私たちの視覚と心理に深く根ざしています。この知識を持つことで、日々の生活やアート鑑賞、そして自己理解に役立てることができます。
- インテリアへの応用: 部屋を広く見せたいなら壁や天井に膨張色の効果を持つ明るい色を、落ち着いた雰囲気にしたいなら後退色や収縮色の効果を持つ色をアクセントに使う、といった工夫ができます。
- ファッションへの応用: 体を大きく見せたい部分は膨張色を、引き締めたい部分は収縮色を選ぶことで、視覚的なバランスを調整できます。また、相手に与えたい印象(活動的か落ち着いたか)によっても色の選択が変わるでしょう。
- アート鑑賞の視点: 絵画を鑑賞する際に、どの色が手前に飛び出して見えるか、どの色が奥に引っ込んでいるか、どのように空間の広がりやものの大きさが表現されているかに注目してみましょう。画家がこれらの色の効果をどのように計算して、あるいは無意識的に用いて作品に深みを与えているのかを感じ取ることができます。
- 自己表現と自己理解: 自分で絵を描いたり、物を選んだりする際に、無意識に選んでいる色の視覚効果を意識してみるのも良いでしょう。なぜその色を選んだのか、その色が自分にとってどのような心理的な意味を持っているのか、進出色や膨張色をよく使う傾向があるか、それとも後退色や収縮色が多いか、などを考えることで、自己理解を深める手がかりになるかもしれません。
まとめ
色が持つ「近く見えたり遠く見えたり」「大きく見えたり小さく見えたり」という視覚効果は、単なる目の錯覚ではなく、私たちの心理や感覚に影響を与える重要な要素です。進出色・後退色は空間の奥行きや距離感を、膨張色・収縮色は大きさやボリューム感を錯覚させ、それぞれが固有の心理的な印象を与えます。
これらの色彩効果を知ることは、私たちの周りに溢れる色の情報から、作り手の意図や隠されたメッセージを読み解くための助けとなります。また、私たち自身が色を選ぶ際の無意識の心理に気づき、自己理解を深めるきっかけともなり得ます。
日々の生活の中で色に意識を向けること、アート作品の色使いに注目してみること。そうすることで、色彩が私たちに語りかける、より豊かな心理の世界を発見できるでしょう。